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唐人屋敷を抜けると、目の前には佐古小学校。
開校以前は、商館医ポンペが建てた小島養生所があったトコだ。
開校して109年になるこの小学校も、
この春、となりの仁田小学校(コチラは114年)と合併して閉校になるのだそうだ。
となりの仁田小学校と100メートル余りしか離れてないところを見ると、
昔はすんごく子供が多かったのだろうなぁ。。。
ちなみに、新学期からは、となりの仁田小学校にみんな移って、
こっちの佐古小学校は解体されて、新校舎に建替えられ、
建替えられたら、みんなこっちに移って、その後に仁田小学校が解体されるのだそうだ。
(新学校名は仁田佐古小学校)
そんな佐古小学校を突っ切って、向こう側の路地に入り・・・
にゅい~んと進むと・・・
佐古小学校の裏門(?)
ココにもポンペのことが詳しく説明されてた。
佐古小学校を後にして、更に路地を下ると・・・
お!鳥居だ!!
ひゃあ。「危険」って書いてある。
先の方へまわってみると・・・神社だ!
梅香崎神社だ。
菅原道真公を祀ってるのだそうだ。
(梅つながり?)
社殿の左脇を覗いてみると、さっきの「危険」鳥居だ!(若杉稲荷神社だそうだ)
ちなみに、ココって梅香崎町から結構離れてるんだけど、
なぜ梅香崎神社というのかといえば・・・
今はなき大徳寺が関わってるのだそうだ。
つーわけで。路地を挟んだ左隣の大徳寺公園~!
なんでも最初の頃は大徳寺って伊勢町にあったそうなのだけど、
1704年に梅香崎に移ったのだそうだ。
でその時に、大徳寺をお守りするために梅香崎神社が建てられたのだそうだ。
(寺を神社が守るって、なんかスゲー・・・)
でもってその後、大徳寺がこの地へ移転した後を追って、
(蔵の資料館の地図からすると佐古小学校のトコら辺かな)
梅香崎神社もここに移ってきたのだそうだ。
更に開国後。
それまで大徳寺の檀家だった唐人屋敷の商人達が、
長崎貿易の衰退と共にいなくなってしまった上に、
廃仏毀釈の気運もあってか明治元年に廃寺となり、
梅香崎神社だけが残ってしまったのだそうだ。
ほぃ~ん。
そんな大徳字公園の傍らには、立派な大楠が!
ひゃあ。
推定樹齢約800年だそうだ。
こりゃすんごいパワースポットだ。
その横の楠稲荷神社から下りて・・・
久々の平地だ!
ススメ~っ!!=3=3=3
To Be Continued =>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>